2008/01/18-2008/01/24 目白猫連続虐殺事件について
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2008/01/26 裁判を振り返って -疑問点と感想-
ゆきももこ/tana
猫虐待による動物愛護法違反では、1年の懲役または100万円以下の罰金が量刑です。
公判で検事が懲役2年を求刑したのは、猫を殺してその遺骸を近隣に捨てた事への廃棄物の扱い・清掃に関する法律違反だそうです。
「廃棄物」という言葉で扱われた被害猫達。裁判も、この言葉のように今の日本では動物は物扱いであることを突きつけられた悲しいものでした。


以下に今回の裁判についての疑問点を挙げます。

・ 過去に被告が被害者となった傷害事件は、いずれも周りの人間の非道さばかり強調され被告が一方的に被害になったと主張していたが、わずか1年の間に二度も傷害事件の被害者になるのは被告にも人間性における何らかの問題がなかったのか?通常人間同士の関係が良好でもあのようなことが起こるのか?
検察からその点についての質問が何故無かったのか?

・ 領収書偽造について、弁護人は、慰謝料を一方的に打ち切られた被告が治療費を補うため追い詰められての事であると主張したが、その偽造内容は風俗店に行ったのをマッサージと偽った性的欲求の為のものであった。なぜ検察はこの事に反論しないのか?

・ 弁護人は被告について、30歳まで健全に普通に暮らしてきた常識人であるとし、恩情を訴えた。しかし領収書偽造は訴えられていたら立派な詐欺行為である。この点も検察からは何の反論もなかった。

・ 事件の被害に遭った後、鬱憤を晴らすために壁を叩くなどしたが、自分ばかりが痛いだけで無機質なものは傷つかないと思い、攻撃対象が生きているもの、特に抵抗できず思い通りに虐待できるという理由で子猫に変わったことについて、弁護人は事件のトラウマやPTSDによるものと主張。しかしその根拠は診断書と本人の証言のみ。根拠と言えるに足るものなのか?

・ "精神的よりどころ"と"痛みの身代わり"では大きく違うが、そこのすり変わりに論理的解釈が全くつけられていない。犯行は殺害した猫の遺体の骨をさらに折るという残虐さである。悪夢によってそこまで大きく対象への感情が変わった事が、何故「トラウマ」「PTSD」の言葉だけで正当化されるのか。トラウマやPTSDで苦しみながらもこうした犯罪を犯す事なく暮らす人はたくさんいる。 悪質な犯罪を犯した理由になり得ないのに、その点についてなぜ検察は追及しなかったのか?

・ 執行猶予つきを求める弁護人の主張に「再犯する可能性がないと考える」とあるが、その根拠は、被告の証言のみ。しかし被告は「今度こそちゃんと飼おうと思って」餌付けし連れて帰った猫を殺すことを数回以上繰り返している。 被告の証言のみで再犯の可能性がないとなぜ言い切れるのか?

・ 被害猫である護摩ちゃんは被告に拉致された時、首輪をしていた筈である。ところが証拠品には首輪が入っていないのは、被告が首輪を死体とは別に処分した可能性があると推察できる。これは遺体を隣家の庭に遺棄した事について「証拠隠滅をしなければと考えられないほど精神衰弱していた」との弁護人の主張と矛盾することになる。そうなると、隣家へ遺体を投げ込んだのは、嫌がらせではないという被告の主張の信憑性も薄らぐ。また、被告の言動(「自分の撮った映像を沢山の人が見てくれる事が嬉しかった」「人々に感謝される人間になりたい」等)から、自己陶酔や犯行をわざと誇示した愉快犯的なものがあるとの追求できたのではないか?

・ 親として監督指導していくと父親は言っているが、PTSDという単語すら知らなかった父親が、どこまで監督指導できるのか、また、心と身体の治療を具体的にどのように行うつもりなのか、それらについて何故検事からの追求がなかったのか?

・ 残虐性、再犯の可能性、命の尊さについても一応話が出た。
ただ、どれも形だけのものであり、猫達がどのような恐怖を感じ、虐待を受けたか、そうした点を被告はどう感じたのかの質疑は被告の動機や心理状態を確認する上でとても重要であるにも関わらず、弁護士、検事、裁判官のいずれかからも尋ねられなかったのは何故なのか?



私達の主観になりますが、以下は裁判の感想です。

今回裁判を初めて傍聴して思ったのが、裁判というのは、
どう嘘をついてうまく罪を逃れられるか弁護士が考えて、ただ、被告はその場で嘘をどう隠しどう繕うか弁護士の指示に従う…、
そして検事は嘘をどこまで見破って事件について深く追求出来るか…、
そういう事なのかと感じさせられました。
人間として最低最悪の場面でしかないんだ…という事です。
聖職であるはずの検察官の職務への怠慢さ。何よりも腹立だしく思いました。
トラウマやPTSDを理由に減刑を認めるのは、精神疾患に苦しみながら反社会的行動を行わずに生きている多くの人間に対しての偏見の助長になり兼ねません。
また、動物虐待からさらに凶悪な犯罪へ移行する恐れが高い事や、
動物を殺してもいくらでも刑を逃れてのうのうと暮らせる事を世間に公言したも同然である事などの責任を、
裁判官や検察は自覚しているのでしょうか?
司法に関わる人間がまず動物虐待について軽んじた考えしかないということがよくわかりました。

そして被告ですが、31歳という年齢でありながら、
示談金は親払い、親の監督下での生活と言っても、自宅ではなくわざわざマンションを借りての生活…
親から自立できていないのではとも思えました。同時に親のお金で解決した事にどこまで反省があるのかも疑問です。

被告も被告の父親も喚問中の受け答えは流暢であり、父親が面会という言葉でなく接見という言葉を使っていたのも、
事前に弁護人と綿密な打ち合わせの元に練習を積んだということをうかがわせました。
そして、怪我のことや相手の支払いが止まった事などに関しては声が大きくなり、
自分の犯した罪よりも、自分が被害者であるという意識の強さが現れている気がしました。





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